辺野古座り込み日記

座り込みのテントには各地からの支援者たちが集う


午後1時半、防衛施設局の作業を厳重に見守る
(反対協とマスコミ)
5月20日台風の中、無事正午に那覇到着、午後バスで名護へ向かい、翌日
5月21日(金)午前中にタクシーで辺野古へ向かう。
(タクシーの運転手さんは座り込みの応援に来たというと大変好意的で、料金をまけてくれる)
 二見から寂れた町を下り、辺野古漁港へ テントには朝から30名ほどの人々が座り込みをしている。
東京要請行動で顔見知りの「ヘリ基地反対協議会」の顔ぶれが見え、挨拶を交わす。「市民アセスなご」の浦島さんはボーリング延期署名を施設局に届けに行ったとのこと。
 座り込みに参加し、午後に向かってぼちぼちと知人がたち現れる。
 沖縄ジュゴン環境監視団団長の東恩納琢磨さんもやって来てテント内の全員に当会を紹介してくれて、国際署名の報告などをする。
 琢磨さんが港内の干潟にミナミコメツキガニの大群を発見、しばしの観察会、私も無事カメラにおさめる。まるでブルーベリーの果実のような可愛いカニたち。無数のカニ穴が砂浜に模様を描いている。
 台風に備えての作業ヤード資材の復元ということで施設局が午後1時半より復元作業を開始。監視団メンバーは話し合いの結果、厳重に現状維持以上の作業はさせないということで、粛々と作業を見守り、施設局も作業をすませ撤収。座り込み応援、第一日目も無事終了。
夕方、居酒屋で琢磨さんと友人と夕食。5年間のジュゴン保護活動を振り返る。

わらわらと出現するミナミコメツキガニ


海上から見る辺野古漁港と座り込みテント
(背景/左は久志岳、右は辺野古岳)


ポスターセッションのTシャツ22日(土)
 毎土曜日は琢磨さんがカヌーを出すというので予定していたがあいにくの雨で中止。
 午後から名桜大学で開かれる沖縄生物学会の公開シンポジウムに参加。やんばるのマングース問題でヤンバルクイナを守る獣医師会の長嶺先生や金城道男(沖縄フィールドワーク)氏によれば、ヤンバルクイナが発見されて23年目、現在の推定生息数は約1000羽、このままだとあと5年はもつかどうか?という話にショック!このままでは5年もすれば、かつて沖縄にはヤンバルクイナやジュゴンという琉球諸島に固有な種が生息していました。ということになりかねない。外来種問題に加えて、県道、林道の問題が根底にある。地元新聞では連日、ヤンバルクイナやセマルハコガメなど固有種の轢死が報道されている。

ポスターセッションのTシャツ


長島の自然、キキョウラン

長島での観察会
23日(日)
朝9時から琢磨さんたちとグラスボート、スナフキン号で辺野古漁港に向かう。
「琉球諸島を世界自然遺産に登録する連絡会」主催の基地建設予定地視察に参加。
30数名とキンャンプシュワブを海上から観察したり、長島に上陸し、美しい瑠璃色の花や実をつけるキキョウランや、ゴマフマダラの交尾や、エリグロアジサシなどを観察。
その後、座り込みのテントに戻って昼のおべんとうを食べ、マスコミの取材を受けたあと、ジュゴンの見える丘で、それぞれの参加者の想いを語る。
殆どの方々が地元の地道な自然保護活動に係る方々で、さっそく私も会員に登録。
夕方はジュゴンネットワーク沖縄のメンバーと歓迎会という名目の楽しい飲み会。

背景、右キャンプシュワブ、左基地予定の海上(長島から)


まさにこの美しい海上に飛行場が建設されようとしている。
右キャンプシュワブ、左は平島。(長島から)


フロート(浮き球)のカエルのキャラクターがユニークな二見パーラー

じゅごんの里(東恩納琢磨さんの民宿)
24日(月)
朝7時の座り込みミーティングで防衛施設局が公開質問に対する回答を出す日との説明。
11時に同宿のAさんの車で座り込みテントを訪問していた宜野湾の高校生を乗せて、やんばる野生生物保護センターを訪ねる。
外来種問題や希少種問題などの展示も充実して、図書も豊富で職員の熱意が現れている。今年はゴールデンウィーク頃からヤンバルクイナの交通事故が異常に多発して、ここ連日であると話しているそばから、沖縄フールドワークの金城みちおさんが轢死したヤンバルクイナの死体を運びこむ現状に驚く。このままではあと5年もつかどうかという。
その後、陶芸の先生である田場窯に寄り、池に咲いた香りのいい紅い睡蓮の花束をもらう。テントに一旦戻り、Aさんと二見パラーでビールとおいしい食事を取り、オーナーのご夫妻の掛け合い漫才のような会話に一か月分の大笑いをし、美しい星空を見ながらジュゴンの里へ戻る。

やんばる野生生物保護センター展示/やんばるニュース、左からリュウキュウケナガネズミ、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ

やんばる野生生物保護センター展示/やんばるニュース


25日(火)
朝10時に海人の伸さんが迎えに来てくれて同宿のAさんと共に船で大浦湾に出る。
大層な装備でダイビング初挑戦。
夢のような美しさのユビエダハマサンゴの群落やクマノミやエラブダイの乱舞に魅了された。
この海を飛行場建設のための護岸工事の作業場として埋め立てるなんて狂気の沙汰としか考えられない。しかも防衛施設局は、作業が終わったらまた元に戻すから大丈夫などと、子供にもわかる嘘を平気でつき、海を熟知しているダイバーたちの怒りをかっている。
伸さんが採ってくれたサザエのつぼ焼きとビールでAさんと乾杯する。
夜は琢磨さんの4人の子供たちとAさんと花火を楽しむ。


この海があったからたくさんの海の幸によって戦後も生きてこれたのです。とおばぁがやさしく諭す。

クマノミのコロニー色とりどりの魚たちの乱舞、まるで竜宮城のような光景。撮影/西平 伸
26日(水)
今朝は朝7時半にはテントに行き、午前中に来るという施設局をまちかまえる。
風も強く、肌寒いが次から次へと差し入れやお茶がふるまわれ、私は若いMさんとおしゃべり。
その内、県議の糸数さんや市議の高里さんや元総理の村山さんが来訪。
その後、3じ過ぎに2台の車で施設局がやって来て、テントに招き入れられ、お茶を出され、お年寄りが迎え「あなたも役目柄、苦しいだろうが、今度は説得しに来たではなく、説得されましたと報告して下さい。」
この海を案じながらすでに6名のお年寄りが亡くなっていること。「この80にも90にもなる年寄りをいつまでここに座らせて置くのか、よく考えて下さい。」と子供をさとすように職員を返す。
責任者の和泉氏は「沖縄は私の家内の里で、4〜5年すんでいる」と発言するが、そうであるならば、この海を埋め立てることなどできるはずがない。どのような真意でこの発言をしたというのだろうか?

ユビエダハマサンゴの群落がどこまでも続く。
撮影/西平 伸

アニメ「ファインディング・ニモ」ことカクレクマノミといそぎんちゃく
。撮影/西平 伸

27日(木)
防衛施設局が毎日来るというので、朝から待機していたが、いつまでたっても現れず、今日はもう来ないのかな〜ということで、「北限のジュゴンを見守る会」の東京での活動やジュゴンについての話を始めたら、午後4じ過ぎになって施設局は現れた。お連れ合いがウチナンチューだという和泉さんが昨日の話は上司にきちんと伝えたが、真摯に受け止めていろいろ検討した結果、やはりここに基地を造らなければならないという答えを持ってきたと説明。
嘉陽のおじぃが対応し、担当者をむやみに責めてはならないと、そうそうに帰ってもらう。
みんなで「計画を断念して下さい。もう来ないでください〜!」と大合唱する。

今日はもう来ないかも・・・と大西さん

三重の高校生が修学旅行でテントを訪問

28日(金)
午前中はつれあいの実家で犬と遊び、夕方のバスで瀬嵩へ着くと大雨。
Mちゃんと琢磨さんたちと居酒屋で夕ご飯、やがて仲間がやって来て酒盛りと沖縄の将来や人生論議。
閉店までいて、デザートにMちゃんと二人で大きな甘〜い煮豆の入ってい沖縄の「ぜんざい」を食べて、じゅごんの里にもどる。今日は私の安息日。今回の沖縄ではなぜか黒い犬が多かった。

本日は月桃と菊の花

テントを守るたのもしい長老たち

29日(土)
昨日は休んだので、今日は朝一で座り込みに行き、その後琢磨さんと瀬嵩の港でグラスボートにペンキでお絵描き。
オレンジ・ジュゴンに黒で文字、船体は白と青なのでオレンジが映える。
ちょうど終わったころに小雨。グッドタイミング!

瀬嵩へ向かう途中のポール

沖縄の犬(浦添)

沖縄の犬(在来種、トゥラーの雑種)

沖縄の犬(辺野古)

グラスボートにオレンジ・ジュゴン

本日の花は天人草
県議選も始まり、明日からの祭りもあり、少し緊張のほどけた午後のテントに座り込む。
浦添の仲西中学の生徒さんが飯塚先生に引率されて嘉陽のおじぃの話を真剣に聞く。
西尾市郎牧師の引率で台湾のアミ族のご婦人たちが大勢訪問。
おじぃはこの海を埋め立てるのなら、自分をスクリューに捲き込んで殺してからにせよ施設局を説得したと説明。
台湾では北京語が通常使われているため、アミ族の言葉は教会で教えられているという。
この海で洗礼を受けたという嘉陽のおじぃは同じキリスト者の姉妹たちの訪問に感激、仲西中学の生徒さんとの交流も含めて、「今日はいい一日だった。」と笑顔を輝かせる。
ここに座っていると毎日、感動的なシーンに出合える。辺野古からは「日本」や「世界」が見える。


座り込み41日目の平和な午後のひととき  

仲西中学の生徒さんたちが嘉陽さんの話を熱心に聴く

受洗したこの海は死んでも埋めたてさせない!

と嘉陽さんはアミ族の姉妹、兄弟に語る。

30日(日)
今日はお祭り、朝8時テントに集合しみんなで協力して準備を始める。
午後、マキシさんや小橋川さん、土田さんたち顔見知りが続々と現れる。
沖縄ジュゴン環境アセス監視団の事務作業の合い間に2じから始まったハーリーを暑い岸壁でぜんざいを食べながら若い仲間たちと見物。その後、満月祭りの準備で受付に狩出される。
空には虹のような七色の光の帯が輝き、昨日の雨が嘘のよう、夕方には海の方には夕焼け。
歌の合間のアピールで、琢磨さんが「今日は最高!」と叫ぶ。
月の輝く下でゆったりとした時がめぐり、明日に向かってとうとうと流れて行くことを感じる。幸せは今ここにある。予定時間をはるかに過ぎて午後9時半、あと片づけを手伝ってこの10日間お世話になった方々にお別れの挨拶をして瀬嵩にもどる。

辺野古の浜でのハーリー

米海兵隊の女子チームも健闘

お手伝いに狩出される(オリジナルTシャツに注目)

虹のような光の帯が・

泡瀬干潟を守る連絡会のコーナーも

いよいよ祭りの始まり、透き通る子供たちの歌声が・・・

人気のジュゴンパン

夕闇がせまる

若者たちも

おじさんたちも

隣の国からも連帯

ゆったりとした時の流れが明日へと続く

31日(月)
午前7時44分、バスに乗り那覇に向かう。
名護のバス停で昨日の祭りでジュゴンパンを創って売っていた若いファミリーと出合う。
厳しい現実の中で、歌い、語り、共に明日を約束した人々からもらったたくさんの宿題を私は明日からひとつづつ解いていかねばならない。
そして、またここに戻れる日のことを夢のように想像する。私たちのジュゴンの古里に。

祭りの前日のお稽古(音感がなくて金城師匠から破門された私)

テントでゆんたく(太って帰った私)

ジュゴン保護基金委員会の事務局の二人

ジュゴンの見える丘 ここがジュゴンの古里

6月6日(日)
辺野古の座り込みから戻って自宅に溜まっていた郵便物の中に「現代女性文化研究所」の講演会のお知らせが届いていた。いつも興味深い講座をなかなかタイミングが悪く、参加できないでいた。今回の特別講演の講師は国際署名のよびかけ人のお二人である。
スケジュールは偶然空いていた。偶然は必然か・・・、講師の岡部伊都子さんと落合恵子さんは大ファンである。
座り込みのテントでも国際署名のよびかけ人にたくさんお目にかかった。
迷うことなく国際署名の提出と座り込みの報告を兼ねて講演会に出かけた。
お二人の講演内容は「この時代にあって、どんな事が起きても自分が自分であり続けること。」
「ずっと闘い続けてこられて疲れることは?」という質疑に対し、岡部さんは「闘わない方が疲れる。自分との闘いに負けたら自分である意味がない。」と明快に答えられた。
また、落合さんは「今、必要なのは自分の24時間の中に自分の好きな時間を5分だけでも創ること。生活者のしっかりとした日々を持つことが一番の対抗、当たり前の生活者に戻ること。
自分であり続けることのむずかしさの中で、自分との約束を見つめ直すこと。」と答えられた。

辺野古の抵抗の意味はまさにここにある。
辺野古の座り込みには沖縄の歴史的な闘いが継承され、地元の人々の生活者の視点が大事にされている。8年に渡る地元の抵抗運動の中では、想像も付かない苦しい時代があったと聴く、抵抗者は村の中では孤立し、辺野古の海の行く末を案じながらすでに6名のお年寄りが亡くなっているそうだ。それでも戦後、何もなくてもこの海があったから豊な海の幸によって子供たちを育て、大学まで出すことができたというおばぁの心からの感謝の気持ちを誰にも奪うことはできない。この生活者の実感を、座り込みに参加した支援者は胸に受け止め多くのものを学ぶ。役目で訪問する施設局の職員さえもが、我が子のように諭される。

この生活者の視点に対し、それを覆すことなどできないから事業者である国は地元への説明会を開くことをしない。もし、このまま地元への説明責任をはたさないで、暴力的な解決を図るような事態になったなら、すでに5000名を越えたテントに訪れた支援者たちは、自らの生活の場であらゆる闘いの狼煙を挙げるだろう。
翻ってもし、国が説明責任をはたし、地元と膝をつき合わせて話し合い、結果この豊かな海を失うことがなければ、日本中の人々が安らぎ、世界中の人々があこがれるジュゴンの生息する平和な沖縄の島が実現するだろう。
許嫁を沖縄で失い、自らを加害者と断言する岡部伊都子さんは沖縄の女たちの生活実感の中で真の平和へのまなざしを取り戻し、島の心に「共振」したのではないだろうか。
サンゴの骨である珊瑚礁の島に散らばる遺骨収集もされていない沖縄人々の骨の眠る地を歩き、自らの骨が辛くきしむ音を聴く彼女は、ジュゴン保護国際署名の報告にその柔らかく温かい手で私の手を握り、辺野古に座り続ける人々に深く頭を垂れて両手を合わせて祈られた。

6月18日
悲しいお知らせをしなければなりません。
ジュゴン保護国際署名のよびかけ人のおひとりであり、「草の根通信」の主宰者、作家の松下竜一さんが、17日早朝に亡くなりました。67歳でした。
昨年6月に脳内出血のために倒れられ、手術後リハビリに励まれる日々でした。リハビリに専念するために草の根通信はこの7月号の380号で休刊する予定でした。
家業を継いでへたな豆腐屋の日々を綴った「豆腐屋の四季」や、大杉栄、伊藤野枝との四女、伊藤ルイさんの半生を綴った「ルイズー父の貰いし名は」など、絶望の中に温かな光を見いだすノンフィクションの数々を発表されています。
また、草の根の活動に対する細やかな配慮と目配りは、いつも私たちを励まして下さいました。
私ごとになりますが、かつて息子の卒業式において起立出来なかった孤独な出来事を綴った小文に、目を止められ「草の根通信」に掲載して頂いたのが最初の出会いでした。
昨年、病に倒られても、忙しさにかまけて十分なお見舞いも申し上げられず、悔やまれてなりません。
きっと回復されると信じて、「草の根通信」の再開にはジュゴン保護活動の報告ができるかと楽しみにしていました。
ほんとうに残念です。
私たちのできることは、松下さんの願いをきちんと受け止めて自分自身のなすべき道を「この時代にあっても、私らしく生きる」ことなのだと思っています。
残されたご家族やお仲間のみなさまに心からお悔やみ申し上げると共に、松下竜一さんのご冥福をお祈りいたします。

雅子